八重瀬町当銘に、当銘のガジュマルという、沖縄の名木百選に認定されたガジュマルがあります。

当銘のガジュマル
この敷地は御嶽だそうで、ガジュマルの根元には、『東當銘御嶽』と刻まれた石が置かれています。

東當銘御嶽と刻まれた石碑
ソントンノ御イベ
そしてガジュマルに向かって左側にあるのが、ソントンノ御イベ。

ソントンノ御イベ
御イベとは
『御イベ』について自分なりに説明すると、まず、沖縄には『御嶽(うたき)』という聖地があって、それは、例えば一つの山全体とか、グスクの中の一画というふうに、聖なるエリアのことを指します。その聖なるエリアの中で、ピンポイントに聖なる場所、もしくは、最も聖なるポイントのことを、『御イベ』というんだと、私は理解しています。
さて、ソントンノ御イベ。一説によると、ここにはソントンが祀られているんだそうです。
ソントンといえば…
ソントンと聞くと、ついつい関連付けたくなってしまうのが尊敦という人物です。尊敦とは、琉球王国の正史に登場する支配者・舜天(しゅんてん)の幼い頃の名前。
関連記事→舜天(しゅんてん)
そして、ますます尊敦と関連付けたくなるような一文が、沖縄名木百選の公式サイトにありました。
当樹木の下には拝所があり、地域の人々の信仰の対象となっている。また、ソントン(舜天王のこと。舜天王:琉球の歴史書に登場する王)御イベ居住地跡の囲いであるという故事も伝わっている。(【おきなわ 緑と花のひろば】より抜粋しました。)
この文章、読みにくいんですけど、おそらく尊敦の居住地跡だと伝わる。という意味の一文なんじゃないかと思います。
御嶽と祖先
ところで、沖縄の信仰と御嶽について解説した資料を読んでいると、御嶽の中には、遠い祖先を祀る御嶽もあるそうです。そこには、”遠い祖先たちの神骨が隠されている”ことが多いそうです。(『沖縄歴史地図 歴史編』p.131より)
さらに気になっているのは、以前『沖縄の古代部落マキョの
数少ない情報を総合して考えてみると、ここは、大昔にこの土地のリーダー的存在だった人物の、屋敷跡なのではないかなとも思えます。ただ屋敷跡の場合、「○○殿内(とぅんち)」と呼ばれてもいいはずなのに、ここは御嶽とされているということは、かなり古い時代の人物なのかもしれません。
でも、ソントン=尊敦と解釈するのは、まだ少し気が早いかなという気がします。
ソントンと呼ばれた個人なのか、そういう立場の人なのか、はたまた一族を指しているのか。もう少し調べてみたいと思っています。
※あくまでも、歴史素人の自由研究です。
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