名城に残る御神屋を見学-糸満市名城の歴史散策

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糸満市名城の歴史散策その2です。

ここからはほとんど御神屋を見学していたので、いつにも増してマニアックな記事です。

しかも突き止められなかったことが多くて申し訳ないのですが、富盛殿内を調べているとそこにヤマト人の影が見え隠れして…。なかなかおもしろい話と出会いました。

その1→トマンザからフェンサグスクまで-糸満市名城の歴史散策

神差の殿-名城の嶽元

フェンサグスクから東に進み県道3号線に出ると、道を渡った先に祠がありました。

神差の殿・カンザジノトゥン(糸満市名城)

神差の殿(カンザジノトゥン)

ガイドブックによるとここは神差の殿(カンザジノトゥン)という拝所だそうです。

ガイドブック→『旧真壁村集落ガイドマップ』【糸満市公式サイト】

「神差」は門中的な一族の屋号です。神差という一族は名城の嶽元と伝わっているそうです。嶽元とは…おそらくムラの御嶽などを守る役目がある家のこと。だと思います。

神差のルーツを、手持ちの歴史本『琉球王国の真実-琉球三山時代の謎を解く』(伊敷賢)をヒントに追ってみたのですが、途中で混乱してきたのでやめました。南山の承察度や達勃期と近いようなのですが…。煙に巻かれたときは深追いしない方がいいですね。

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それから神差の御神屋は、この拝所の道をはさんで向かい側にありました。ただ、あまりにも個人宅のお庭にあったので、遠くからお辞儀だけして見学はせず。

海勢頭の御神屋-トータビの安全祈願

神差の御神屋からひとつ西にあるのが海勢頭(ウンスル)の御神屋

海勢頭(ウンスル)の御神屋(糸満市名城)

海勢頭(ウンスル)の御神屋

御神屋の中には火の神と「浦添世」、「玉城世」、「海勢頭神」の御香炉。

火の神と「浦添世」「玉城世」「海勢頭神」の御香炉

海勢頭の御神屋に祀られている御香炉

海勢頭は海に関係する祭祀を司る家だそうです。ガイドブックには”古い時代はトータビ(唐旅、遠方への旅)に出る際にここを拝んで安全祈願をした”とありました。

海勢頭のルーツや詳しいことはよくわからなかったので断念。

謝名世の御神屋-大殿内按司の守り役

神差の殿から県道3号線を南に進んだ所にある建物の裏手に「謝名世」と「トムイ殿内」と案内のある御神屋がありました。

「謝名世」と「トムイ殿内」(糸満市名城)

「謝名世」と「トムイ殿内」

左側は謝名世(ジャナユー)の御神屋

謝名世・ジャナユー(糸満市名城)

謝名世(ジャナユー)の御神屋

ガイドブックには”大殿内按司の守り役であったといわれている謝名親方を祀った拝所”とありました。

それでこの「謝名親方」なる人物をたどってみたのですが…。またはっきりしたことはわからず。

前出の歴史本では北山にルーツを持つようなことが書かれていて、確かに今帰仁村には「謝名」という集落があるなぁ。とは思うんですけどね。

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富盛殿内-ムラを開いたと伝わる

さて、謝名世の隣には富盛殿内(トゥムイドゥンチ)

富盛殿内・トゥムイドゥンチ(糸満市名城)

富盛殿内(トゥムイドゥンチ)

ガイドブックには”ムラの始まりのころに天下りし、ムラを開いたという伝説がある家”とありました。

トモリはヤマト人と関連している?

ところで、トモリという言葉について調べていると、興味深い話を見つけました。

『列島縦断地名逍遥』(谷川健一)によると、琉球各地にある「トモリ」と名のつく場所には日本(ヤマト)と関連する歴史が残っている。というのです。

その例として浦添市安波茶の「トモリ嶽」を挙げていて、そこにはヤマト人の骨が埋まっていると複数の史書に書かれている。というような内容の解説をしています。その他、宮古島の友利という村落も大昔ヤマト人がやってきたと伝わっていると。

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となると、名城の富盛殿内はどうなのか。

ま、いつも通りはっきりしたことはわかりませんでしたが、富盛殿内から東に800mほどのところにある「轟の壕」に少し気になる話がありました。

「轟の壕」にアマミキヨの拝所

「轟の壕」は今となっては戦跡でもありますが、方言では「トゥルルチ」と呼ばれる昔から拝所があった場所のようです。そのうち一つの拝所がアマミキヨの墓だと伝わっていると。

私はアマミキヨは琉球の外から来た渡来人だと思っているので、富盛殿内の近くにアマミキヨに関連するという場所があるのはとてもおもしろい話だと思いました。

富盛殿内と轟の壕がはっきりとつながったわけではないですが、ひょっとしてもしかして富盛殿内の祖先が島外からの新しい文明を伝えたことでそこにムラができるきっかけをつくったのかもしれない。などと想像を膨らませています。

今後もっと掘り下げて調べたいですね。

さてと。他にもまだ見たいところはあったのですが時間が気になりだしたので名城の歴史散策はこれにて終了。

それにしても名城はふと目を上げると青い水平線が見えたりして、とても心地よい場所ですよ。

でも今はこんな時期なので、歴史散策はストリートビューでお願いしますね。

『旧真壁村集落ガイドマップ』【糸満市公式サイト】

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その1→トマンザからフェンサグスクまで-糸満市名城の歴史散策

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