中山世鑑を読んでいます(まだ56ページ目)

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図書館で借りてきた『中山世鑑』を改めてじっくり読んでいます。現在56ページ目。

中山世鑑を読んだ

中山世鑑

改めて読んだと見栄を張りましたが、実は読破したことは一度もなくて、今まで欲しい部分だけをザックリ斜め読み程度で降参していました。

今日は最初から腰を据えて読んでみて、ちょうど舜馬順熙のところでいったん置きました。集中力が続きません。

ひとまず、ここまで読んでみたところの感想を少し。

なかなかツッコミどころの多い史書

ここまで読んでみた印象、保元物語のくだり長~い!というのが一番強いです。あんまり長いので読み飛ばしました。何を読まされているんだろうと…ちょっと思ったかな。

それから、この一文今いる?という文章が時折挟まれていて気になりました。

例えば、総論の中で出てくる舜天のところ、

尊敦は右側の生え際に角があったので、その角をかくすため髻を右側に結って載せていた。

という有名な一文。

有名な話なので前後にどんなストーリーがあるのかと思いきや、う…うん。どしたん急に?と思うほど突然出てくる一文でした。

もう一つはこれも総論で察度が閩人三十六姓を賜った話の中で

しかし、その三十六姓も少なくなって、今は僅かに蔡、鄭、林、梁、金の五家が残っているのみである。

といきなり”今は”(それを書いている時点)の話が出てきたので、その情報今いる?と思いました。

何か暗示してる?羽地朝秀の書き方

それで注釈と合わせながら読んでいると、羽地朝秀は暗示をうかがわせる表現をする人だなぁと思いました。

なにやらの故事になぞらえてこれを意味する。という書き方。もしかしたら、この時代はみんなこういう表現をしたのかもしれないですけどね。

そう考えると、さっき書いたような今いる?的な一文も、そうやって不自然に書くことで何かを示唆しているのかなぁ。と想像したり。

あとは、尚真王の絶賛度合がすごかった。絶賛され過ぎー!と思いました。

運天港と洞窟の話は中山世鑑じゃなかった

中山世鑑を改めて読んで発見したことがあります。

まず一つは、「運を天に任せてたどり着いた運天港」の話は中山世鑑には載っていないんですね。今まで中山世鑑を参照している歴史本を読んでいたので、どこまでが中山世鑑に書かれた内容なのを把握できていませんでした。

浦添に残された親子も、中山世鑑では洞窟じゃなくて草庵で待っていたとなっているし…。

それから驚いたのは、尊敦にセリフがありました。尊敦がしゃべった!と思いました。「自分はー!未熟者だけどもー!ええとこの子なんやでー!」というようなことを言ったのだと解釈したんですけど、どうなんでしょう。

【追記:私の解釈は間違っていました。修正記事→中山世鑑が描く舜天

あと、舜馬順熙にもうちょっと触れてあげればいいのに…。とも思いました。全然触れられてないんですね。

さて、前は全然入ってこなかった中山世鑑も、今になって腰を据えて読んでみるとけっこうおもしろいです。

少しずつ読み進めながら、またメモ代わりに感想を書いていくつもりです。

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