浦添城(うらそえぐすく)

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浦添グスクがなぜこんなにもマイナーなグスクなのかわからない。知れば知るほど浦添グスクは歴史的に重要なはずなのに…。

王都の礎となった巨大グスク

沖縄県浦添市仲間にある浦添城(うらそえぐすく)跡。
このグスクは沖縄戦の後、一部石垣が復元されているものの、首里城や勝連城のようなわかりやすい復元はされていない。観光地としてはマイナーで、実際主郭の辺りまで登っても見晴らしのいい草原が広がっているだけに見える。
しかし実は、浦添グスクは琉球史上とても重要なグスクだったという。

王都として機能していた浦添グスク

浦添グスクは1260年~1349年までの90年間は英祖(えいそ)一族、1350年からの数十年間は察度(さっと)一族が城主だった。その間浦添グスクだけでなく、浦添一帯も都に匹敵するほどの発展を遂げたという。琉球で王都といえば首里城をイメージするが、首里城には浦添グスクと共通した造りや名称が多く、首里城は浦添グスクを基にして造られたとも言われている。察度の長男・武寧が琉球で初めて明国からの冊封を受け「王」に任命されてからは、まさに琉球最初の「王宮」だったということになる。
その後、首里へ遷都されるまで中山の王宮として栄えたグスクだった。

現在、浦添グスク跡は浦添大公園内にある。グスクを散策するには『浦添大公園南エントランス管理事務所』からが一番近い。
浦添大公園南エントランスの管理事務所からは2つの道が通っていて、片方はグスクの南側を行く散歩道、もう片方は主郭につながっている。

浦添グスクが王宮だったころ、南側の散歩道周辺は堀になっていた。そして、グスクにつながる道の世持井(ユムチガー)の奥には「イユグムイ(魚小堀)」と呼ばれる大きな人工池があったという。

グスク跡の頂上は現在広場になっていて休憩所やベンチが置かれているが、その広場が主郭にあたる。広場の南側、林に入る手前の深く雑草に覆われているくぼみが正殿跡だという。当時はそこに高麗瓦の正殿が建っていたという。

正殿を背にして北にすこし下った辺りの崖下には王陵「浦添ようどれ」がある。当時、浦添ようどれの北側には「極楽寺」という琉球最古の寺院があった。

広場から続く道を北へ道なり進むと駐車場を経て住宅街に入る。その道をそのまま進むと『浦添グスク・ようどれ館』という施設がある。その駐車場の奥は「仲間後原遺跡」で、王宮時代の屋敷跡が発見されている。また、現在の浦添中学校がある辺りでは集落跡、北側の当山小学校がある辺りでは豪族屋敷跡が発見されている。

浦添グスク周辺は英祖のずば抜けた支配力によって豊かになり、諸国から技術者や知識人が集まって様々な建造物が造られ、察度の広い見聞と政治力で王都として整備され栄えていったのではないだろうか。

浦添城(うらそえぐすく)への地図

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ゆかりの人物

英祖(えいそ)

目次1 生没年2 在位3 中山の基盤を築いた太陽の子4 英祖の生誕にまつわるてだ…記事を読む

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