英祖(えいそ)

スポンサーリンク

生没年

1229年~1299年

在位

浦添世の主1260年~1299年

中山の基盤を築いた太陽の子

現在の浦添大公園の浦添バイパスを挟んで向こう側に伊祖公園がある。伊祖公園とは伊祖城(いそぐすく)跡のことで、英祖はそこで生まれたとされている。

英祖の生誕にまつわるてだこ伝説

伊祖城には英祖の父親にあたる恵祖世の主(えそよのぬし)が住んでいた。恵祖世の主は伊祖地域で大きな力を持ち人々から慕われていたが、年をとっても跡継ぎに恵まれなかった。ところがある日、妻が懐に日輪が飛び込む夢を見た。その後懐妊していることがわかり、英祖を生んだ。妻の懐に日輪が飛び込み夢を見て生まれた子なので、英祖は「てだこ(太陽の子)」と呼ばれるようになったという。このてだこ伝説は琉球王府の史書『球陽』に書かれている。

しかし、当時は集落の支配者のことを尊敬の気持ちをこめて「てだ(太陽)」と呼ぶことがあった。なので実際は英祖だけが「てだこ」だったわけではないようだ。『球陽』に書かれているてだこ伝説は、(英祖もそう呼ばれていたであろう)「てだこ」という尊称と、日輪伝説を重ねて英祖の出生を崇高なものとする意図があったと思われる。

存分に発揮した英祖の実力

英祖は義本の摂政となり、その後”王位”を禅譲された。ということになっているが、実際は禅譲ではなくクーデターだったのではないかという見方が、近年では有力になっている。

1260年32歳で浦添世の主となった英祖は、浦添グスクを改修増築し巨大グスクを築いた。敷地の広さは4万平方メートルにおよび現在の沖縄セルラースタジアムの約5個分の広さだったという。また、グスクの崖下には「浦添ようどれ」という王陵が造営され、その近くに琉球最古の寺院「極楽寺」が建設された。

英祖は交易も積極的に行ったという。英祖の噂を聞きつけた近隣の島々が自ら入貢してきた。と『中山世鑑』には書かれている。当時入貢の制度があったのかは疑わしいが、遠方の島々にまで英祖の噂が広がり、いっそう交易が活発になったということだろう。膨大な交易品を管理するための公館と公倉が泊に建設されたという。

英祖は1299年70歳で亡くなった。その後、大成(たいせい)、英慈(えいじ)、玉城(たまぐすく)、西威(せいい)と英祖一族の支配は五代90年、1349年まで続いたとされている。その間の浦添グスク周辺の発展は目覚ましいものがあり、中山王都としての基盤を築いた人物といえる。

人物相関図で見る英祖(えいそ)
歴史年表で見る英祖(えいそ)
スポンサーリンク
   
この記事をシェアする

ゆかりの地

浦添城(うらそえぐすく)

浦添城(うらそえぐすく)

浦添グスクがなぜこんなにもマイナーなグスクなのかわからない。知れば知るほど浦添グ…記事を読む

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です