アマミキヨ(阿摩美久/アマミク)

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様々な伝説を持ち沖縄各地で慕われている琉球開闢の祖

琉球王府の正史にも登場する阿摩美久(アマミク/アマミキヨ)は琉球開闢の神と言われている。

1650年に編纂された正史『中山世鑑』では、アマミキヨは天の最高神に命ぜられて海に降り立ち、天より土石や草木を給わって島を作り、各地に御嶽を作った。その後、最高神の御子の男女が琉球に降りてきて子が生まれ、人々が誕生した。そして、人々は農耕を知らず、繁栄しなかったのでアマミキヨは天から五穀の種を給わって麦、粟、豆、黍(きび)を久高島に蒔き、稲を知念ウッカーの後ろと受水走水に植えた。という内容で、琉球の地を作り、農耕を興した神とされている。

しかし、このアマミキヨの神話は『中山世鑑』が編纂される前から、琉球で語られていた。
1605年に完成した『琉球神道記』には、天から男女2人が下りてきて、まだ小さかった島に山をつくり草を生やし国を作った。やがて女は妊娠して3人の子を生んだという話があり、その男がシネリキヨ、女がアマミキヨだとある。これは琉球に滞在した僧侶が巷に広まっていた神話を書き留めたといわれている。
そして実際に沖縄には各地でアマミキヨを祀った拝所があり、現在も残っている。

アマミキヨは実在した?!

アマミキヨは琉球開闢の神であり、初めて琉球で五穀の種をまいた神でもあるとされているが、沖縄県うるま市の浜比嘉島にはアマミキヨの墓がある。拝所だけならともかく、墓があるのは実在した人物だったとも考えられる。

一説によると、アマミキヨという名の由来についてアマミ=奄美、キョ=人という琉球の古語ではないかという解釈がある。つまり、奄美方面からきた人が鉄を伝え農耕を広めたので、当時の琉球の人たちがとても感謝して神さまのように語り継いだのではないかという説だ。確かにしっくりくる話だが、名の由来については個人的にはあまりにも簡単すぎるかと思う。

その他には、アマミキヨは生粋の琉球人で、貝塚時代の初期の頃に人々をまとめるリーダーだったという説。また、個人を指すのではなく影響力のある人の尊称ではないかなど、様々な解釈がある。

いずれにしろ共通しているのは、アマミキヨは琉球創世の頃に人々の繁栄に貢献し感謝と尊敬をあつめた存在だったということだ。
神さまだったとしても、人物だったとしても、感謝の気持ちを子々孫々と語り継いでいく習慣が琉球初期の頃から始まっていたということは読み取れる。

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